宇喜多直家の異母弟。最も古くから直家に仕え、
常に重要な拠点は忠家に任されたほど信任が厚かった。 1567年(永禄10年) 三村元親による備前侵攻の際には、一軍を率いて応戦。 直家と協力してこれを撃退した。この戦いはのちに明善寺合戦と呼ばれている。 1582年(天正10年) 直家の死後、実質的に宇喜多家を率いて対毛利戦に従軍。 当時まだ10歳ほどだった秀家を補佐し、激動の時期に宇喜多の家名を 存続させることに成功する。 明善寺合戦、対毛利戦、文禄・慶長の役など多くの合戦を経験した一方、 晩年は千利休とも交わるなど風雅な一面もあった。