宇喜多直家






宇喜多  三郎右衛門尉  直家

享禄2年-天正9



名将 宇喜多能家の血を引く

中国地方三大謀将 にして 備前の覇者


能家が暗殺され 没落した宇喜多家をわずか一代で再興


下剋上を果たし備前一帯を平定した

稀代の謀将  岡山の祖






1566年(永禄9年)

備前侵攻を進める 備中の虎  三村家親を

当時の最先端の武器であった ” 鉄砲 ” を用いて暗殺



翌年1567年(永禄10年)

備前明善寺にて

数倍する敵を鮮やかな指揮により野戦で撃退



1573年(天正元年)

拠点を 岡山(石山城)に移して大改修を行う

城下整備を進め 現在の岡山市街地の原型を築く



その後、謀略を巧みに用いて

毛利・織田の間を生き延びることに成功



1582年(天正10年)

病によりこの世を去る






敵対する者、あるいは疑わしき者は身内でも容赦せず

あらゆる手法の謀略により制圧をした



実弟 忠家にも警戒されていたというが

譜代の家臣をことの外 大切にする面も持っており


この 主従関係の結束 が

宇喜多家隆盛 を後押ししたと言われている