明石全登


 


宇喜多秀家に仕え、良くこれを補佐した
熱心なキリスト教徒であり、洗礼名はジョアン


1599年(慶長4年)
宇喜多騒動(宇喜多家中のお家騒動)の後には重臣筆頭となる

1600年(慶長5年) 
関ヶ原の合戦
猛将として知られる福島正則隊と激突

宇喜多隊の大半を率いて功績をあげたものの
敗戦し秀家を逃がしたのち、 縁のあった黒田家を頼る

 1614・1615年(慶長19・20年) 
大坂冬の陣・夏の陣
豊臣方に属し、水野勝成・伊達政宗らと交戦
 善戦するも衆寡敵せず、敗戦となる

その折には戦死したとも、落ち延びたともいわれるが
詳細は今もってわかっていない