宇喜多三家老の一人。 実母が備前福岡において宇喜多直家の異母弟(忠家)の乳母であった関係で、
直家が乙子城主となった天文14年(1545年) 頃から小姓として仕え始めたため、
家臣団の中でも最古参といえる。 1566年(永禄9年) 三村家親の弔い合戦と称し、三村五郎兵衛が寡兵を率いて、備前に攻め入った折、
宇喜多忠家らとともに迎撃した。
その後は三村氏や毛利氏らとの戦いにたびたび出陣し、多くの武功を立てる。