豪姫








豪姫 / 備前御方 / 樹正院
天正2年ー寛永11年


宇喜多秀家の正室 にして
前田利家の四女    豊臣秀吉の養女

男なら関白に と言われるほど
秀吉から寵愛を受けたとされる

秀家と離れ離れになっても尚
支え寄り添い続けた聡明で美しい戦国の姫

洗礼名「 マリア 





2歳にして前田家から羽柴家へ養女に出され
太閤秘蔵の子 として寵愛を受ける


1588年(天正16年)
秀吉の猶子であった 岡山城主 宇喜多秀家と婚姻

三男二女を授かる


1602年(慶長7年)
関ヶ原の敗戦後、秀家は 死罪 と言われていたが
兄・前田利長、島津忠恒と共に嘆願し 
流罪に減刑された


秀家と共に流罪になる意思を伝えたが
徳川家康は豪姫を不問とし 共にいることは叶わなかった


前田家の領地である金沢へ戻り
秀家や家族の事を思い八丈島に仕送りを続け支え続けた


豪姫の死後は 前田家が仕送りを継承
明治維新まで子孫たちに延々と送り続けられた