宇喜多直家の家臣。美作国英田郡江見荘の国人。 通称は覚右衛門、隼人。美作国英田郡の大畑城主。 1579年の美作三星城攻め、1582年の備中高松城攻めなどに従軍し、直家の死後は子の秀家に仕えて1520石を知行し、本丸御番衆の一人となる。 1600年1月、戸川達安や宇喜多詮家らと共に、対立していた中村次郎兵衛を大坂で襲撃し、その後大坂の宇喜多邸に立て篭もるも、大谷吉継の斡旋で帰参する。 しかし、関ヶ原の戦いへの従軍が許可されなかった事に憤り、再び宇喜多家を退去した。